開館以来初!歴代長浜城主の肖像画を一挙公開※
※…全員が揃うのは後期展示!
 本展では、初代城主・羽柴秀吉から最後の城主・内藤信成まで5代にわたる城主の肖像画を一挙公開します。中でも、後世に制作された秀吉の肖像画の元となり、「これが(秀吉に)よく似ている」と画面に記されている《豊臣秀吉像》(逸翁美術館蔵)や県外初出展となる4代目城主《内藤信成像》と5代目城主《内藤信正像》(ともに新潟県村上市藤基神社蔵)は必見です。

【後期展示】
豊臣秀吉像 伝狩野光信筆 1幅

重要文化財 紙本著色 安土桃山時代
逸翁美術館蔵
 

 
 
山内一豊像 1幅
紙本著色 江戸時代(17世紀) 
高知県立高知城歴史博物館蔵
 

 
 
【後期展示】
内藤信成像 1基
紙本著色 江戸時代(17世紀) 
藤基神社蔵
 

長浜の歴史上、重要な資料を多数公開
 天正元年(1573)、北近江を支配していた浅井氏が滅亡すると、浅井攻めに功績のあった秀吉に、織田信長から浅井氏の北近江旧領が与えられます。はじめ、秀吉は小谷城を拠点としますが、翌年から今浜と呼ばれた琵琶湖畔の地に築城を開始します。これが長浜城です。長浜築城にあたって、秀吉が周辺の住民に鋤(すき)や鍬(くわ)などをもって手伝いにくるよう命じた文書が、現在3通残されています。これは、ほとんど資料がない長浜城に関する重要なもので、本展ではこの3通を同時公開します。
 また、天下人となった秀吉は、長浜の城下町として成立した長浜町の町屋敷年貢三百石を免除する朱印状を長浜町人に出しました。この三百石の朱印地は、江戸時代、長浜町が彦根藩の支配下に置かれても認められました。このように町屋敷年貢の免除もあり、町人たちは、長浜曳山祭に出場する曳山を造り、貴重な装飾品の数々で曳山を彩りました。長浜歴史や文化の礎(いしずえ)となった、この秀吉の朱印状は長浜の歴史上、最も重要な資料ともいえます。

 
羽柴秀吉書状 下八木地下人中宛 1幅
紙本墨書 (天正2年⦅1574⦆)6月8日
大阪城天守閣蔵
 

 
豊臣秀吉朱印状 長浜町人中宛 1通
長浜市指定文化財 紙本墨書 
天正19年(1591)5月9日
一般社団法人下郷共済会蔵
 

 秀吉対家康、小牧・長久手の戦い
 天正12年(1584)、織田政権の後継者として天下統一を目指す秀吉に対し、信長の次男・織田信雄は徳川家康と組み、秀吉に戦いを挑みます。小牧・長久手の戦いと呼ばれるこの合戦において、秀吉は手痛い敗北を喫しますが、後に両者と和議を結び、秀吉の天下統一事業も大きく前進しました。
 本展では、この時の秀吉方の軍の陣立てを記した「小牧長久手陣立書」(慶應義塾図書館蔵、後期展示)や小牧・長久手の戦いの状況を秀吉自ら記した「羽柴秀吉自筆消息 いわ宛」(東京大学史料編纂所蔵、前期展示)など、秀吉と家康の戦いにも焦点を当て紹介します。

 
【前期展示】
羽柴秀吉自筆消息 いわ宛 1幅
(天正13年⦅1585⦆)9月6日
東京大学史料編纂所蔵
 

 
 
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